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「うちも豚まん売りたいから、たこ焼きどかして」 売店からの”非情通告”を、”ドル箱”に変えた大阪商人の思考習慣

公開日

2020年9月4日

執筆者

座安あきの
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「うちも豚まん売りたいから、たこ焼きどかして」 売店からの”非情通告”を、”ドル箱”に変えた大阪商人の思考習慣

「うちも豚まん売りたいから、たこ焼きどかして」

売店からの”非情通告”を、”ドル箱”に変えた大阪商人の思考習慣

 

「なぜ、うちの商品は売れないのか」 「なぜ、値決めを間違えると客が寄りつかないのか」

もし経営者やリーダーがそんな悩みを抱えているなら、その答えは自身の「立場や報酬」にあるかもしれない。

大阪に、赤字経験ゼロ、銀行が「金利0.数%」という好条件で融資を申し出る、とんでもない中小企業がある。設立37年の食品メーカー、ムーランだ。 90年代に宇宙食ブームにのって売り出した冷凍たこ焼き、百貨店で爆発的に売れたカレーパン、そしてコロナ禍に生まれたモンブラン専門店など、ヒット商品は数知れない。

仕掛け人は、ムーラン会長、中村剛(65)さん。 すでに”元祖”や”本家”が存在する分野でも、ひと工夫のアイデアと絶妙な価格設定でブームに火をつけ、空港売店や駅ナカで「2番手」の座にこぎ着けるのが特徴だ。

「中小企業の75%が赤字なのは、経営者が自分の欲を価格に乗せているからや」

そう断言する中村さんは、創業150年の老舗お茶屋「宇治園」(大阪市)の6代目社長(2004〜2012年)を務めた経歴を持つ。ペットボトルのお茶が流行し始めた1991年、もう一つの柱として、大阪の食文化を商品化する別事業を立ち上げた。 その経営哲学は、巷の成功法則とは一線を画す。「大胆細心」を地でいく人柄だ。

「守秘義務なんかいらん」とたこ焼きの独自レシピを他社に渡し、大手メーカーとの商標トラブルを「共同開発」の奇跡に変え、65歳で代表権をあっさり返上した。 ここぞという時の瞬発的な経営判断を支えるのは、毎朝欠かさず4時半に起床して、内心に潜む「利己心」と「慈悲心」の葛藤に対峙する内省の時間だ。

その行動の動機は本当に正しいのか?人のためになる善いことか?自分だけの都合や欲(私心)が混じっていないか?

日々、自分自身に問い続けるからこそ、欲が優勢になった時に生じる「価格のバグ」が、はたからよく見えるのだという。大阪商人・中村剛さんの思考習慣に迫ったーーー。

◼️「適正価格」を歪める経営者の邪念

「商売は絶対に儲かるようにできてんねん。足し算と引き算ができればな」

中村さんは事もなげに言う。原料を仕入れ、付加価値をつけて売る。そこから経費を引いた残りが利益だ。これほど単純な構造なのに、なぜ世の中の中小企業の多くが赤字に苦しむのか。中村さんの分析は明快だ。

「そこで自分の給料をぎょうさん取りたいなと思うから、おかしくなるんや」

例えば、適正価格が200円の商品があるとする。100円の利益から50円を経費に使い、残りの50円を自分の取り分にすれば商売は回る。しかし、経営者の生活水準が上がり、「いい車に乗りたい」「いい服を着たい」という欲(利己心)が出ると、50円では満足できなくなる。「100円欲しい」と思った瞬間、経営者は価格を300円に吊り上げようとする。

「これが消費者の感覚を無視した『価格のバグ』や。お客さんは『この商品なら200円』という感覚を持っている。そこに経営者の個人的な欲が上乗せされたら、もうそれは適正価格やない。だから売れへんようになって、倒産すんねん」

中村さんは、この「利己心」こそが、商売を損なう最大の要因だと考えている。では、適正価格をどう決めるのか。

「まず上代(売値)を決める。これでどれくらいの感動、どれくらいの幸せを与える商品か。そこから逆算する」

ともすれば、人は自分の利益を先に立てがちなのに対し、中村さんは「顧客が出せる・出したいと思う幸福」を先に置く。ここで利己心と慈悲心のスイッチが入れ替わる。利己心に寄ると、価格は上がる[剛中3] か、あるいは極端に値段を下げて品質を落とす。逆に慈悲心に戻ると、顧客側の現実が見える。インフレで原価が上がっても、まずは自分の身入りを圧迫させてでも価格を守る局面があるという。

「利己心と、人のためにやろうという慈悲心は、同時におこらへん[剛中4] 。スイッチみたいなもんや」

中村さんは、毎日のように揺れ動く自身の内面をそう表現する。だから、毎朝4時半に起き、自宅の神棚の前で祝詞(のりと)[剛中5] を上げる。今の自分の行動は、人のための慈悲心か、それとも自分の欲か、自問自答を繰り返すのだという。

「儲けたい、良く思われたい、格好よく見られたい――そう思った瞬間、商品の“打率”は下がる。短期的には売れても、絶対にロングセラーにはならない」

それは、「放っておけば利己心に傾く」自分自身が、痛いほどに何度も経験してきた、心からの実感だという。

◼️ 「どかして」を商機に変える

この「利己心を抑え、相手を生かす」という哲学は、単なる精神論ではない。中村さんのビジネス人生で数々のピンチを救ってきた、実践的な強みでもある。

かつて、ムーランが手掛ける冷凍たこ焼きは、関西国際空港[剛中6] の売店で飛ぶように売れていた。しかしある日、売り場の担当者に呼び出され、こう告げられる。

「隣の551の豚まんよく売れてるやろ、うちも神戸の豚まん置くことにしたんよ。お宅のたこ焼きのスペース減らすから、どかしてくれんか」

普通の経営者なら激怒するか、泣き寝入りする場面だろう。しかし、中村さんは、反射的にこう言い返した。

「うちも、豚まん持ってまっせ。知りません?蓬莱本館の豚まん」

その時点で、自社の豚まん商品など持っていない。だが頭の中では、すでに構想が走っていた。

実は「551蓬莱」と「蓬莱本館」はルーツを同じくする別会社だ。中村さんはその足で、以前から親交のあった蓬莱本館の社長のもとへ走った。

「空港土産として、蓬莱本館のぶたまん売らしてもらいたいんですけど、あきまへんか?」提案する。卸売事業が中心だった相手にとって、空港は未知のチャネルだということを中村さんはよく理解していた。蓬莱本館の社長は驚きながらも、「中村君に任すわ」と快諾。中村さんは自社のたこ焼きのスペースが減らされた場所に、551ブランドに引けを取らない蓬莱本館の商品を並べることに成功したのだ。結果はどうだったか。

「当時、豚まんの土産品はチルドが基本やから、夏場の持ち歩きに弱い。うちは冷凍品として売ったから、夏場はとくに強かった。結果、蓬莱本館の夏場の売上は、ほとんど俺らが作ったようなもんとちがうかな(笑)」[剛中7] 

自分の商品(たこ焼き)の売り場を守るために固執する(利己心)のではなく、相手(売店や蓬莱本館)が喜ぶ提案(慈悲心)を通すことで、結果的に自社の口座(取引ルート)を守り、新たな収益の柱を作ったのだ。

「損して得取れ」を地で行くエピソードである。[剛中8] 

そして何よりも、大阪人が誇るもう一つの豚まんブランドの味を多くのお客さんに届けられるようになった。それこそが、慈悲心を余すことなく注ぎ込んだ、中村さん流商品開発の真骨頂なのだ。

◼️「守秘義務なんかいらん」逆転の発想

中村さんの「利己心を捨てる」姿勢は、契約社会の常識すら覆す。

冷凍たこ焼きの事業拡大に伴い、大手水産会社と商社から「レシピを教えてほしい」と頼まれたことがある。製造業の海外拠点化が加速する中、協業して大規模生産に対応するためだった。相手から、製造を請け負うにあたり、厳重な守秘義務契約(NDA)を結ばせてほしいと打診される。しかし、中村さんはこう言い放った。

「契約書なんか結ばんでいいですよ。美味しいって思ってくれるんやったらどんどん真似してください」[剛中9] 

周囲は驚いたが、中村さんには勝算があった。

「大手が本気で盗もうと思えば、レシピを微妙に変えて『オリジナルです』と言い逃れることなんて簡単や。そんな紙切れで縛るより、仲良くやって『一緒にコンテナで運んでや』と頼む方が得、というより楽しいやんか」

レシピを包み隠さず提供したことで、相手とぞっこんの仲になり信頼関係を構築した。その結果、東南アジアの工場で作られた商品は、大手商社の物流網に乗って日本へ運ばれ、ムーランの商品として販売された。小さな会社が契約書一枚にこだわるよりも、「人間関係」というアナログな絆を信じたことで、大手のリソースを使い倒すことに成功したのだ。その後、ムーランの冷凍たこ焼きは国産に回帰していくが、その製造会社選びでも、大手のネットワークに助けられた。

この「人間力」は、商標トラブルの際にも発揮された。

同じく90年代、売り出したばかりの冷凍たこ焼きのパッケージに「レンジグルメ」と記載したところ、ハウス食品から分厚い警告書が届いた。「商標権の侵害」を指摘する内容で、速やかに商品を回収せよという指示だった。代理人を立てて対応を依頼するのが一般的だが、中村さんは、違った。

「商大(大阪商業大学)に通う道にハウス食品があって、毎日社屋を見ていて勝手に親しみがあったんや。だから近所のおっちゃんに謝りに行くような感覚やったな」

アポイントをとって会社を訪ねた中村さんは、対応してくれた担当役員に親近感を語り、そして素直に非を認めた。

「悪気はなかったんです。このパッケージがなくなるまで使わせてくれませんか」

そう頭を下げて頼み込むと、相手も人間だ。「わかりました、使い切るまではいいですよ」と許してくれた。中村さんはこの時の恩を忘れなかった。

それから約10年後。ムーランは、商業施設のフードコートでカレー専門店を開業していた。ランチタイム後に客が途切れる空白時間を埋めるため、揚げたてのカレーパンの販売を考案した。しかし、パンに入れるには店の“シャバシャバ”したカレーでは具が溢れてしまう。そこで中村さんは、思い立った。

「カレーといえば、りんごとハチミツのバーモントカレーやな。そやったら、かつて縁のあったハウス食品に聞いてみよ」と、電話をかけた。[剛中10] 

「ハウス食品の技術で、うちのレシピを活かした「固いカレー」を一緒に作ってもらった。大手が中小企業のレシピを形にするなんて、普通はあり得へん。当時対応してくれた役員は退任して直接関わることはなかったけど、当時の感謝を伝えたらすぐに打ち解けて、快く協力に応じてくれた」

ハウス食品の開発部を巻き込んで完成した「ガンジー倶楽部」のカレーパンは、淀屋橋駅の狭い通路で日販38万円、百貨店では1日2500個を売り上げる伝説の商品となった。

「特許や契約でガチガチに守ろうとするのは、裏を返せば『騙されたくない』という恐怖心や。相手を信じて懐に飛び込めば、味方になってもらえるチャンスの方が大きい」

◼️ コロナ禍を救った「嬉々として向き合う」精神

中村さんの商品開発の原動力は、「斜に構えない」ことにある。

「採用面接で見るのは、学歴でもスキルでもない。明るいかどうか、たったこれ一点や。斜に構えるヤツに、人を感動させる商品は作れへん。何事にもポジティブに『すご!』って喜び、嬉々として動けるヤツ。それだけで合格や」

2019年末、コロナ禍の足音が近づく中、京都で行列を作るモンブラン専門店がテレビで紹介されていた。その翌朝8時、現地の行列の中に中村さんの姿があった。早朝自宅を出て車を走らせ、実物を食べに来たのだ。

「うわ、すごいな! 感動するな!」

多くの経営者が「どうせ一過性のブームだ」と斜に構えて眺めるところを、中村さんは子供のように「嬉々として」楽しむ。そしてその瞬間、この感動を社員や家族とすぐにでも分かち合いたいとの思いに駆られるのだという。

この日も、店員に「これ、テイクアウトしたいんやけど」と頼み込んだ。

ところが店側は「1ミリの細さで絞っているから、持ち帰りは崩れるので無理です」と断った。中村さんの「大阪商人魂」に火がついた。

「持ち帰られへんの? ほな、俺が持ち帰れるやつを作ったるわ」

会社に戻り、「モンブランをやるぞ」と宣言すると、社員たちは猛反対した。「売れるわけがない」と冷ややかな反応を示した。だが、中村さんは止まらない。

「コピーでええねん。でも、そこにある『欠点』を『利点』に変えたら、それは立派なオリジナルになる」

本家が「持ち帰れない」なら、自分たちは「持ち帰れる」ように改良する。カップの底にメレンゲではなくスポンジを敷き、崩れにくい構造を考案。「モンテブランコ」と名付けて販売を開始した。

直後にコロナ禍が直撃し、主力の土産物需要が消滅したが、このモンブラン事業が会社を救った。世の中が休業ラッシュが相次ぐ中で、休むことなく社員を動かし続けたことで、組織の「筋肉」を落とさず、コロナ明けのスタートダッシュにつなげたのだ。

◼️「老害」にならないための引き際

数々のヒットを飛ばし、商品アイデアは尽きることはない。だが、中村さんは2025年9月、65歳を機に社長の座を退いた。「代表権」だけでなく、会社の支配権そのものである「筆頭株主」の座まで新社長の三浦貴茂さん(54)に譲り渡す決断をした。

「代表権を持ったまま会長に残ったり、株を握ったままやったりしたら、会社が頭でっかちになるだけや」

中村さんは、日本の多くの企業や政界にはびこる「院政」を痛烈に批判する。トップが退いても、実権(株や代表権)を握り続け、会長が社長より多く高給を取り続ける。これでは経費(人件費)が増えるだけで、新社長はいつまでたっても「お飾り」のままになる。

だからこそ中村さんは、自分に「法的制限」をかける道を選んだ。新社長の三浦さんに「株を買え」と迫り、彼を名実ともに筆頭株主にしたのだ。

その効果は劇的だった。

交代した途端、銀行からの連絡が一切来なくなったのだ。郵便物も、中村さん宛ではなく新社長の決裁に回るようになった。

「寂しいで。そら寂しい。でも、そうやって自分に制限をかけんと、人間はいつまでも権力にしがみついてしまう。それこそが『利己心』やからな。俺は年金をもらうから、その分、会社の負担を減らす。これが、経営を有利にするための計算ですわ」

自分が築き上げた会社であっても、その支配権に固執せず、次世代のために身を引く。退路を断ったこの潔さこそが、中村さんが毎朝の儀式で磨き続けてきた「慈悲心」の究極の形であり、中小企業が生き残るための「新陳代謝」の極意といえるだろう。

◼️飽きっぽさを補う唯一無二の存在

中村さんが後継者に指名した三浦さんとは、36年来の付き合いになる。いわば「一番弟子」だ。その出会いは、中村さんがまだ宇治園の平社員だった頃、営業で訪れた愛媛県松山の喫茶店に遡る。

営業所の支店長から「息子の就職先がないから面倒を見てくれ」と頼まれたのがきっかけだった。約束の時間、窓の外を見ていると、学生服のボタンを開け、タバコを吹かしながらガニ股で自転車を漕ぐ「絵に描いたような不良」がやってきた。

「うわ、田舎のヤンキーが来たわ……」

中村さんが呆気に取られていると、店のドアが開いた瞬間、その青年は一番上のボタンまでピッチリと閉め、まるで「借りてきた猫」のように神妙な顔で席についたという。

「そのギャップがおもろかったんや。こいつは化けるかもしれんと思って、その場で採用を決めた」

それから36年。三浦さんは、中村さんの「飽きっぽさ」を補う唯一無二の存在となった。中村さんの経営スタイルは、直感で「これはいける!」と飛びつき、ゼロからイチを生み出す爆発力にある。だが、その情熱は長く続かない。

「僕はね、すぐ飽きるんですよ。次におもろいもんを見つけたら、そっちに行ってまう。ほんなら、さっきまで『これが最高や!』言うてた商品がないがしろになる。枯らしてしまうんや」

普通なら、トップが飽きた事業はそのまま廃れる。だが、ムーランが生き残ってきたのは、中村さんが散らかした後を、三浦さんが黙々と拾い集め、地道に育て上げてきたからだという。

「あいつは俺みたいに『嬉々として』表には出さんけど、内側に秘めたる闘志がある。俺が放り出したもんを、あいつが実務で定着させてくれた。これは僕にはない才能や」

もちろん、順風満帆だったわけではない。中村さんの理不尽な要求に耐えかね、三浦さんが「もう無理です、辞めます」と訴えたことも一度や二度ではない。ある時、本気で辞表を出そうとした三浦さんに、中村さんはこう言い放った。

「お前、俺のことが嫌いやから辞めるんか? それは無責任すぎるぞ。ここに残された社員や、これからお前が背負っていく会社の未来を無視するんか」

「嫌いだから辞める」という個人の感情論(利己心)を許さず、「公の責任」を突きつけたのだ。その強烈な引き留めに応え、歯を食いしばって残ったかつての「不良少年」は、今や筆頭株主として会社の実権を握っている。

◼️組織の「筋肉」鍛えたデフレ下の経営

なぜ今、経営交代だったのか。中村さんはその理由を、単なる年齢の問題ではなく、「時代の変化」への適応だと語る。

中村さんの経営スタイルは、徹底した守りの姿勢だ。経費を削り、利益を内部留保として積み上げてきた。その結果、自己資本比率は極めて高く、銀行からは「0.数%」という驚異的な低金利で融資の提案がくるほどだ。

一方で、現代経営では「内部留保を貯め込まず投資に回せ」と言われるが、中村さんは頑なに「貯める」ことを選んできた。目指す数字は「自己資本比率75%」だという。 

「売上が一切なくなっても、3年間は持ちこたえられる数字。それが75%や」

コロナ禍で土産物業界が壊滅したように、いつ何が起こるかわからない。その時、銀行が傘を貸さなくとも、社員と会社を3年は守り抜く。そのための「筋肉」として、中村さんは利益を会社に留保し続けてきた。

自分がデフレ時代に貯め込んだこの強靭な「筋肉(内部留保)」こそが、これからのインフレ時代、三浦さんがリスクを恐れず新たな事業に挑戦するための「命綱」になると、確信している。

 中村さんはいま、松尾芭蕉が唱えた「不易流行」という言葉が念頭にあると語る。

「みんな『温故知新(古きをたずねて新しきを知る)』を大事にするけど、それだけじゃ足らんねん。商売の根本である『人を喜ばせる(不易)』は変えたらあかんけど、やり方である『流行』はガラッと変えていかなあかん」

今日の仕事は、自分のためか、人のためかーー。

商売の手法は変わっても、その問いかけさえ失わなければ、会社は続いていく。神棚の前で、中村さんは今日も手を合わせ、自己のあり方を確かめている。(了)

 
中村剛さんの金言習慣〜道経一体経営の学びより

謹んで宇宙根本の神の前に

心から反省と誓いの言葉を申し述べます

 

わたくしたちは今日まで全く自分中心の

利己的な精神に捉われて生活し

たまたま他人のために働く場合にも

 

同情・親切・義侠心のような

単純な感情的な行為を善として

 

とかく不平・反抗・あるいは

お世辞・へつらいの気分を持って

万事に対処して参りました

 

ところが、この度モラロジーを学びまして

わたくしたちの心遣いが甚だ謝っていたことに

気付かせていただきました

 

この上は神の知恵と慈悲の表れである

諸聖人の心をこころとし、

世界人類の平和を乞い願い

 

国の伝統、家の伝統、精神伝統

物質生活の伝統をはじめ

大小恩人のご恩を思い

至誠慈悲・贖罪報恩精神を持って

家業・職務を務め

 

且つ、できるだけ壬申の開発救済に向かって

尽力させていただきます

 

全て苦労は自分がいたし、

その結果は他人に分かつ心となり

 

人に向かっては一切求めず、

慈悲寛大・自己反省の心を持って

日々孜孜として至誠努力を続ける覚悟でございます

 

たとえ、病気・その他不幸なことがありましても

全て自分の誠意の足りないところと考えまして

 

順境・逆境・いずれの場合にも

ことあるごとに益々慈悲心を奮い起こし

 

最高品性の感性に向かって

進みますことを

謹んで固く宣誓致します

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